3才よりピアノを始め桐朋女子高等学校音楽科卒業後引き続き桐朋学園大学に入学。
ピアノを富本陶・川島伸達・江戸弘子の各氏に伴奏法・二重奏等を岩崎淑氏に師事。
大学在学中、芝居に興味を持ち勉強を始める。
大学卒業後、二期会・藤原歌劇団、等の歌手の伴奏をコンサート・パーティー・ディナーショーで務める。
また、文学座で芝居の勉強をし、ミュージカルその他の舞台に役者として立つ他司会・ナレーション等の仕事、東映の映画音楽指導、銀座セゾンの舞台音楽指導等を経験
平成4年度よりジャズピアノを辛島文雄氏に師事その後ジャズピアノを元岡一英氏に師事。
のちホテルラウンジやライブハウスなどでクラッシックの演奏、ジャズの演奏活動を行う。
平成9年3月渡米、ニューヨークでノーマン・シモンズ、マイク・ロンゴ、ヒルトン・ルイスの各氏にジャズピアノを師事、また現地のミュージシャンと交流を持ちライブ、ジャムセッション等に参加する。
現在ジャズピアニストとして都内、都内近郊で活動中。
ブログを開設して半年、今更ながら私のプロフィールです。
上記が今まで公に使ってきたもので改めて自分で見てもまあ、その通りです(笑)
ただもう少しカジュアルにいうと
私の人生の記憶はピアノ教室に連れて行かれたところから始まりますが、子供の頃はピアノは大嫌いでした。
親の勧めと言うより母の無理強いでしたし、子供の頃から本が大好きでレッスン室(と呼んでいたピアノのみ置かれた部屋)に
「練習しなさい!」
と閉じこめられてもちょっとピアノの音を出しては、こっそり本を読む日々でした。
当時、現実逃避からかその狭いレッスン室の中で自分が本の主人公になって想いを巡らせるのが好きでした。
もう、妄想癖の強い、と言ってよいと思う。
小学生の時分から、役者に憧れて18歳の時にはアルバイトを始め親に内緒で劇団の養成所に通っていました。
なので、音楽学校では劣等生でなんとか大学まで出てやっと親から解放され晴れて芝居の道に進み、そのかたわら銀座のクラブやホテルのラウンジなどでピアノを弾くアルバイトをしながら芝居の世界に没頭しました。
芝居の世界にいた頃が私の青春だったと思います。
しかし現実は厳しく、年間100以上のオーディションを受けたりもがいたものの芝居の世界ではなかなか芽が出ず。
受けたオーディションのヒロインは山口智子さんだったり、今国会議員の蓮舫さんだったり、、、
もちろん自分の器量は十分理解していたのでヒロインではなくその脇のポジションを狙っていたのですが(笑)
もちろん親の夢を断ち切った私に親からの援助はなく、このまま下手なポピュラーミュージックを奏でて(実際コードは独学で、今から考えてもよく仕事があったなと思うほどのピアノの腕でした)いても先はないなと思い、ジャズでもやるか、という不純な動機でジャズの勉強を始めたのでした。
当時イケイケなジャズピアニストの辛島文雄さんには
「おまえ、ジャズを簡単に考えてるだろう。」とすぐに見破られてしまいました。
ところがジャズに触れれば触れるほど、なんて素敵!と思うようになりました。
なんたって間違えても怒られないんですよ!!
子供の頃、数多く受けたピアノのコンクールではミスタッチは許されず何回ミスしたかでどんどん点数が減り、間違えてはいけないと思えば思うほどミスを連発し精神がすり減ってやけっぱちになったところで火事場の馬鹿力的に芸術面で少し認められるというのが私でした。
それがジャズにはないのですから(多少乱暴な言い方です)こんな幸せな世界はないと芝居で花開けなかった分、ジャズに没頭しました。
私の第二の青春です。
で今に至りますが、結局ジャズもクラシックに負けず奥は深く、ピアノを弾くたびに反省の日々です。
あれだけ親に反発していたのに、結局、今ピアノを弾けることを何よりもの幸せと感じることにちょっと人生の皮肉を感じます。
そしてジャズに没頭したら、改めてクラシックを愛おしく思ったり。
今、私は音楽に支えてもらっているという実感の中で生きています。
さて、第三の青春は訪れるものでしょうか?